Trekファミリー(トレックブランドと、その関連会社)まとめ
Trekは1992年以降、関連企業の吸収合併を繰り返し、国際的な自転車メーカーへと成長した経緯があります。また、その成長過程で自社内でも様々なブランドを誕生させていることから、Trekにはいくつかのブランドや関連会社が存在します。
この記事ではそうしたブランドや企業をまとめて解説。Trekというブランドを総合的に深掘りしてみようと思います。
1.TREK
1975年、ディック・バークとベビル・ホッグが創設したTrek Bicycle。その設立当初から同社が育んでいるブランドが、社名と同じ「TREK」です。設立当初は赤い倉庫にて従業員5名で製造されていたブランドですが、現在では世界最大級の規模へと成長しました。
その創業されたばかりのころは、TREKはフレームブランドでした。しかし、1982年には完成品の生産にも着手。今では多様なロードバイクがラインナップされており、MADONE(マドン)・DOMANE(ドマーネ)・EMONDA(エモンダ)の3モデルはTREKのロードバイク3大モデルと言われています。
1-1.MADONE(マドン)
トレック史上、最も空力に優れ、かつ最速のロードバイク「マドン」は、究極の空力性能を備えたエアロロードバイクです。初登場は2004年。そして、その初代マドンから2018年までに5回のモデルチェンジを経て、現在のマドンは6代目です。
マドンの歴史は大きく3世代に分けることができます。
まず、第一世代の特徴は、ホリゾンタル設計のシンプルな設計に、軍事技術を取り入れた最先端のOCLVカーボンを組み合わせて圧倒的な登坂性能を誇った点です。
第二世代の特徴は、第一世代のオーソドックスな設計から一転、トレックが誇るカーボン成型技術を誇示するかのような曲線を多用したスタイリングへと変化した点です。また、2009年のモデルから分類できるこの第二世代ですが、今や各ブランドがこぞって採用しているKVF(カムテール)形状のチューブをいち早く採用してモデルチェンジするなど、他を寄せ付けることなく常に進化し続けた点も大きな特色でしょう。
そして2018年7月、3年ぶりのモデルチェンジを経て誕生した6代目マドンは、開発に150人のエンジニアが携わり、100台ものプロトタイプが製造されたと言われています。そのため、従来モデルからの変化量は2009年に登場した3代目に匹敵しており、まさにこのモデルを持ってして、名作シリーズは「第3世代」に突入したと言えます。
ちなみに、過去にリリースされたマドン5モデル全ては、グランツールを始めとした数々のビッグレースでの勝利に貢献しています。
より速く、よりエアロに、それでいて快適なエアロロードバイクを。
マドンはトライアスロンなどの競技に参加される方、あるいは少しでも早く走りたい方や、最新技術満載の最先端ロードバイクに乗りたいという方にお薦めしたいモデルです。
1-2.DOMANE(ドマーネ)
「ドマーネ」は振動吸収性と安定感が抜群な、エンデュランスロードバイクです。ヨーロッパのクラシックレースでパヴェと呼ばれる石畳などの悪路区間において、ライダーに負荷がかからず、かつ効率良く走破できるロードバイクを。ドマーネはそんなコンセプトで開発されました。そのため、最大の特徴はその振動吸収性と、ホイールベースを長めに設計することで得られる安定感に尽きます。
初代ドマーネが発表されたのは2012年で、そこで採用されたIsoSpeedテクノロジーはロードバイク界に改革をもたらしたと評価されました。Iso Speedテクノロジーとは、シートチューブを独立させる構造により柔軟性を確保し、他を圧倒する衝撃吸収性を可能にした革命的技術です。シートチューブはトップチューブとシートステイに一体化されず、リンクを介して前後方向にしなる構造となっています。
要するにサスペンションにも通じる技術です。
が、Iso Speedテクノロジーでは、重量増となる機械的な機構は搭載せず、全体の剛性も損っていません。
それでも、Trekは初代ドマーネを生み出した4年後の2016年には、新生ドマーネを発表します。「Domane SLR」です。
このモデルでは、大きく3つのテクノロジーが進化をもたらしました。
一つ目が、Iso Speedが「調節式IsoSpeed」に生まれ変わった点です。これにより、IsoSpeedの柔軟性を無段階で、かつ容易にセッティングできるようになりました。振動吸収性についても初代ドマーネと比較して最大14%も向上しています。
二つ目が、「フロントIsoSpeed」です。フロントフォークのステアリングコラムをヘッドチューブから独立させる、縦方向のしなりを創出。路面からの突き上げをいなす、というテクノロジーを採用し、フロント部の振動吸収性を初代ドマーネからさらに10%の向上を実現しました。
三つ目が、「IsoCore ハンドルバー」です。OCLVカーボンで成形されたハンドルバーの内部は、特別なサーモプラスチックエラストマーのレイヤー構造です。それにより、一般的なカーボンハンドルより20%の振動を低減。特に高周波の微振動吸収には大きく貢献します。
第二世代のドマーネを開発するため、パリ〜ルーベの難所「アランベールの石畳」を模した100mの石畳をトレック社屋内に作ったトレック社。
多少路面が荒れているところも快適に走行したい方にはもちろん、ロングライドがメインの方にはお薦めのモデルです。
1-3.EMONDA(エモンダ)
TREK史上最も軽く、ライドクオリティーの高いバランスのとれた「エモンダ」は、究極の軽さとライドクオリティーを重視したオールラウンドロードバイクです。「エモンダ」は、ラテン語で「削ぎ落とす」という意味です。このモデルではその名の通り、各グレードにおいて最軽量バイクを提供することをコンセプトに開発、ラインナップされています。
初代エモンダは2014年に初登場し、そのモデルでのフレーム重量は僅か690gでした。しかし、2017年に発表された「EMONDA SLR」では、ペイントされた状態でもフレーム重量は650gと、初代より50gも軽くなっていました。
ヒルクライムに挑戦したい方や上り坂が得意な方にはもちろんお薦めの一台ですが、走行性能のバランスが非常に良く、乗り味にクセもないので、どんなシーンでも活躍してくれます。オールラウンドモデルとして、オールジャンルに活躍できる1台を求める方にもお薦めです。
2.Bontrager(ボントレガー)
ボントレガーがトレックの傘下に入ったのは1995年のことです。それまでは、キース・ボントレガーが設立したバイクフレーム製作会社「Bontrager」のオリジナルブランドでした。
キース・ボントレガーは、メカニックとして腕を振るいながら活躍した元モトクロスの選手ですが、エンジニア・デザイナー・物理学者・メカニック・ライダーなどの様々な一面を持っていたことから「職人肌なレジェンド」と言われている人です。1979年、ロードバイクフレームを独自に製作し始めると、翌年にはマウンテンバイクのフレームも独自に制作開始。80年代前半には、今のブランドの母体となるバイクフレーム制作会社「Bontrager」を設立しました。
90年代には会社も成長し、カリフォルニア州サンタクルーズにオフィスを設立。93年には初めて現在の原形となるバイクコンポーネントを手掛けます。
マウンテンバイク用サスペンションのパイオニアとして長い歴史を重ねる老舗ブランド「ROCKSHOX」の開発にも協力していたボントレガーですが、1995年、トレックの傘下に入り今に至ります。そして、トレック傘下となってからは、アメリカ西海岸の街サンタクルスの開放的な気候や風土の中、MTB用のタイヤや完組ホイールなどを次々と開発。2002年にはロード用の完組ホイールをリリース。このホイールは翌2003年のツール・ド・フランスにおいて、ランス・アームストロングとともに表彰台の頂点に立ち、その後、幾多の勝利を飾ることになりました。また、トレックが開発したOCLVカーボンを駆使したカーボン製ホイールやハンドル、ステム、シートピラーなども、アームストロングらの活躍により世界的な評価を獲得します。
アームストロングのツール・ド・フランスにおける勝利を支えたボントレガーの製品群。
そんなプロダクトをいくつも開発した彼は、次にサドルやシューズ、アパレルなどをリリースします。2007年に発表したinFormシリーズは、まずサドルからスタート。医学的なアプローチによって、ライダーの骨盤形状に合わせた「サドルサイズ」で選ぶという革新的なアイデアは、サドル選びに悩む多くのユーザーたちに瞬く間に受け入れられます。そして、2009年にはアパレルとシューズを発表し、サイクリストとバイクの接点であるアクセサリー類を次々と世に送り出しています。
このように、70年代から今日に至るまで、開発するプロダクトには大きな変化が見られますが、全く変わっていないものもあります。それが、ボントレガーの象徴「b」のブランドロゴです。このロゴはトレック製品の様々なパーツに刻み込まれ、今日もトレックを支えています。
3.Electra(エレクトラ)
エレクトラはトレックの子会社で、1993年、カリフォルニア州ビスタで Benno Bänziger(ベノ・バンジガー)とJeano Erforth(ジャノ・エルフォース)によって創立されました。コンセプトは「何一つ形式ばらない公式バイク」。クルーザーバイクを主に取り扱っているブランドです。
3-1.創業
創業者の一人ベノ・バンジガーは、西ベルリンのスイス大使館にて、カリフォルニアとアクションスポーツに興味を持って育ったスイス国民です。10代でスノーボードのデザインと製造を始め、その後グラフィックデザインの学位を取得して卒業したのちにカリフォルニアに移りました。そして、1990年にProjekt Designを設立。K2やAdidasを含む企業で働いていました。当初、バンジガーはスノーボードやスケートボードの製造を検討していましたが、やがて自転車の魅力に気づき、クルーザーの販売を決意。設立当初からエレクトラ人気を博し、今ではヨーロッパ、アメリカ、日本、そしてオーストラリア各地のバイクショップで販売されています。
3-2.ホットロッドの影響
南カリフォルニアのホットロッド「kustom kar」文化やロカビリー文化に影響を受け、エレクトラは2002年、「Stream Ride」シリーズを導入。製品の多様化を図りました。バイクのフレームラインはより誇張され、ペイントには炎などがあしらわれました。リアフェンダーは短縮され、細長いフォークのような「チョッパー」スタイルの要素も導入され、それらのモデルは「ロカビリーブギー」や「ラットロッド」のようなホットロッド風の名前がつけられました。
やがて、それらの人目に飛び込むデザインや豊かな曲線フレームは話題となり、エレクトラのクルーザーバイクが全米の海沿いの遊歩道や街角、裏通りで中心的な存在となります。
そこで、エレクトラはより明確な自動車文化へのオマージュとして、「Rat Fink」モデルを発表。ラットフィンクは、世界的ピンストライパー、Ed“Big Daddy”Roth(エド “ビッグ・ダディ”ロス)が「ミッキーマウスの親父」という洒落から生み出した、アメ車好きなら知らない人間はいないと言っても過言ではないほど有名なネズミです。そして、エレクトラはそのラットフィンクコラボモデルの自転車をリリースし、自転車愛好家はもちろん、新しいライダー層への訴求に成功します。
3-3.トレックによる買収
2003年、エレクトラはクランクがやや前方に付いたデザインの「Townie」を発表。これはクルーザーフレームにリカンベントのゆとりある乗車姿勢を組み合わせたバイクでした。このTownieにより、新たなサイクリストの獲得に成功したばかりか、昔は活発に乗っていたライダー達をサイクリングに戻すきっかけとして普及します。
そして2014年、トレックはエレクトラ・ブランドの成長を助けるため、Electra Bicycle Companyを買収。ビジネスや物流サポートを提供し、エレクトラが世界中のサイクリストを今後も刺激し続けられるよう支援しています。
4.Trek-Segafredo(トレック・セガフレード)
Trek-Segafredo(トレック・セガフレード)は、最高カテゴリーであるUCIワールドチームの中の一つで、最高レベルで競う最速のロードとマウンテンバイク選手からなる世界的なプロサイクリングチームのネットワークです。
結成は2011年1月7日。設立前は仮称として「ルクセンブルク・チーム・プロジェクト」と呼ばれていましたが、結成日に「レオパード・トレック」と正式に発表されました。当時から、バイクスポンサーはトレックで、他の装備に関してはボントレガー製品が使用されています。
2012年シーズンに、2011年シーズンまでの「レオパード・トレック」と「チーム・レディオシャック」が合併し、チームは統合。レディオシャック・日産自動車(ニッサン)・トレックの3社が共同スポンサーの「レディオシャック・ニッサン・トレック」(レディオシャック・ニッサン)が誕生します。この時、UCIワールドツアーライセンスはレオパード・トレックのものを引き継ぐこととなったため、チーム・レディオシャックは解散しました。
2013年シーズン、日産自動車アメリカ法人がスポンサーから撤退し、チーム名は「レディオシャック・レオパード・トレック」になり、さらに2014年シーズンにはレディオシャックがスポンサーから撤退しため、チーム名は「トレック・ファクトリー・レーシング」となりました。
2016年シーズンからは、イタリアのバールチェーン、セガフレード・ザネッティがサブスポンサーに加わったため、チーム名は「トレック・セガフレード」となり今に至ります。
5.Trek Travel(トレック・トラベル)
世界中の旅人に、二輪と自身の力で世界を見つめてもらいたい。そんな想いから、「Trek」が持つ「旅」のイメージを実際に具現化すべく、「Trek Travel(トレック・トラベル)」は2002年、現トレックの社長ジョン・バークにより設立されました。そしてそれ以来、世界で最も上質なサイクリングツアーとして、最高のサイクリング・バケーションを提供し続けています主な行き先は、クロアチアやミャンマーの異文化、プロバンスやジオンの絶景、あるいはアルプスやピレネーの歴史です。
また、トレック・トラベルはプロロードレースチーム「トレック・セガフレード」公式トラベルパートナーです。そのため、人気プロレーサーとハンドルバーをぶつけ合う経験も体験できるようです。
6.BCycle(Bサイクル)
「BCycle」はトレックが所有する公共の自転車共有会社です。 トレックの本社があるアメリカのウィスコンシン州ウォータールーを拠点とし、全米の都市で運営されている47のローカルシステムがあります(ただし、いくつかの都市では「CAT Bike」「Red Bike」「GREENbike」など、BCycle以外の名称で運営されています)。
Bcycleは最初の大規模公共バイクシェアシステムです。2010年にコロラド州デンバーで発足して以降、世界最先端を走るバイク共有プログラムとしてその地位を確立。現在では、2大陸で20以上の都市がBcycleを起用しています。
BCycleのシステムは、運営都市によってシステムに多少の違いはありますが、基本的には都市や地域全体に配置された自転車と、太陽光発電ステーションで構成されています。そして、ユーザーは年会費、または1日あるいは1週間のパスを購入し使用することができます。利用後は、自分の街のどのステーションでも自転車をチェックアウトして帰ることができます。
なお、BCycleが使用する自転車は、すべてトレックにより自転車共有用として特別に設計されています。
7.Mansion Hill(マンション・ヒル)
Mansion Hill Innは、ウィスコンシン州マディソン中心街のメンドータ湖に未だに建っている4つの歴史的邸宅のうちの1つで、マディソン中心部からほど近い場所にあるブティックホテルです。19世紀の建築技法やアメリカの歴史を色濃く反映しており、2008年、その歴史とビクトリア調の外観を保護するため、トレックが買収し改築しました。
建築年は1857年。二番目のマディソン庁舎の建築を請け負ったアレクサンダー・マクドネルにより建てられました。20世紀前後には、この一世帯用の邸宅はマディソンで最も有名な住民数名が住んだ高所得者向けの宿でしたが、1930年にはアパートへと変更され、1983年に買収されてホテルに改修されるまでその形で存続。しかし、150年以上経った今なお、ホテルの豪華な外装はその美しさに衰えは見られません。
トレックが改築に着手したことで、この歴史的建物は近代的な快適設備によりアップグレードを果たします。また、伝統的な休憩室を再建し、娯楽のために威厳すら感じるバーを新設。さらに、4階の頂上にある楕円形状のマホガニー製の手すりの見晴台を修復し、Mansion Hill Innはもてなしの心を体現する建物として生まれ変わり、同時にマディソンの街の歴史ともなりました。
トレックは自社サイトでこう記しています。
「マディソンを訪れるか、トレック本社の見学のためにウィスコンシンへ来た際は、Mansio Hill Innがうってつけの豪華な滞在場所となるでしょう。というのも、滞在中はトレック・セガフレードのプロ選手の隣に泊まることになるかもしれないからです。Madison Hill Innは、ウォータールーへと新製品をテストし、開発エンジニアたちと協力しに来た選手たちが好む滞在場所なのです」
8.DreamBikes(ドリーム・バイクス)
DreamBikesは、貧しい地域の10代の少年少女を雇い、地元の青少年団体と協力して訓練し、寄付された中古バイクを修理して販売する非営利バイクショップです。発足した2008年以来、1万台以上の自転車を改装してコミュニティへ還元し、80人以上の少年少女らに実践的で有償の職業訓練を提供してきています。
Dream Bikesの1号店は、2008年4月にマディソンでオープンしました。2009年暮れ頃には、この店は1400台の寄付されたバイクを改装してリサイクルし、マディソンのコミュニティーへと戻しています。そして、Dream Bikes2号店は、1号店がオープンした1年後、ミルウォーキーのノース・マーティン・ルーサー・キング通りにオープンしています。
今でも両店舗とも繁盛しており、DreamBikesはマディソンとミルウォーキーの目玉にまで成長。さらに、ニューヨーク州ロチェスターやテネシー州ノックスビル、さらにはマディソンにもう一つオープンさせ、トレックは自転車メーカーとして、街ならどこでも無料で出張修理に出向くというサービスを展開しながら、貧困層への雇用問題に取り組んでいます。