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  • 名称
    COLNAGO
  • 国名
    イタリア
  • 設立
    1954年
  • 創業者
    エルネスト・コルナゴ
  • メーカーサイトURL

わたしたち「自転車高額買取のチャリストック」でも買取実績が豊富なコルナゴは、イタリア生まれの高級レーシングバイクメーカーです。機材提供は140チーム以上、プロ選手2,500名以上、積み上げた勝利の数は計7,000以上にも上り、創業から半世紀以上が経過した今なお衰えない人気を誇るばかりか、ロードバイクブランドの中でも頂点と呼ぶ人も多数います。

今回はそんなイタリア生まれの高級サイクルブランド「コルナゴ」の歴史をご紹介いたします。

───────────目次───────────

1.コルナゴ誕生

コルナゴの創業者「エルネスト・コルナゴ」は、1932年2月9日、イタリアのロンバルディア州ブリアンツァ地方のカンビアーゴで生まれました。ロンバルディア州はイタリア共和国北西部に位置する州で、イタリア最大の人口(約1000万人)を擁する州です。エルネスト・コルナゴは、そんな州の人口7,000人ほどのコムーネ(基礎自治体)出身です。

農家の長男として誕生したエルネスト・コルナゴは、12歳でカンビアーゴの工場で働き始めます。そして、給料が毎週2kgの小麦粉だったその工場で初めての溶接を経験すると、翌年にはミラノの工房グロリアで奉公を開始します。

その一方、コルナゴは15歳でロードレース選手としての活動を開始し、その歳で初勝利を飾ると、それ以後はコッパ・カルディローラを含め13勝を獲得。体格こそ大柄ではありませんでしたが、その天賦の才は誰もが認めるところで、一気に将来が有望視された選手の仲間入りを果たします。

が、20歳直前のレースで落車事故により左足を骨折。泣く泣く選手生命にピリオドを打つこととなるのですが、それでも自転車への情熱は失われることはなく、選手からメカニックへ転身。1952年、20歳の時にカンビアーゴで7坪ほどの小部屋を借りて自転車の製造・修理の下請け業を開始します。そして、その2年後には独立し、正式に自分のチクリ(工房)を持ちます。

それが「コルナゴ」です。

エルネスト・コルナゴはこうして、弟のパオロと一緒に1954年、そのコルナゴの歴史に幕を上げたのです。

2.運命的な出会いを果たす70年代

2-1.「モルティニ」との出会い

モルティニは1958年から1976年の終わりまで存続した、ミラノの食肉加工品メーカーがスポンサーだったイタリアのロードレースチームです。1970年にはミラノ〜サンレモ(「プリマヴェーラ」の愛称で親しまれているモニュメントの一つ)にてミケーレ・ダンチェッリが優勝を果たすとそれ以降その名は世界的に広がり、破竹の勢いで活躍し続けました。

そんなプロロードレースチーム「モルティニ」のメカニックとして手腕を発揮したのが、当時まだ30代のエルネスト・コルナゴでした。

2-2.史上最強の選手「エディー・メルクス」との出会い

エディー・メルクスは史上最強と言われているロードレース選手で、ファウスト・コッピと並んで「カンピオニッシモ」と称されています。

カンピオニッシモはイタリア語で「チャンピオンの中のチャンピオン」を意味し、長いロードレースの歴史の中でもこの称号を持つのはエディー・メルクスとファウストの二人だけです。ロードレース界のスーパースター「ベルナール・イノー」ですらその称号は与えられていません。

実際エディー・メルクスの実績は輝かしく、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアをそれぞれ5回、ブエルタ・ア・エスパーニャを1回制覇。ツール通算ステージ34勝、単年ステージ8勝、マイヨ・ジョーヌ保持日数は96日と、いずれもツールにおける最高記録を保持しています。

また、世界選手権でも3回(アマチュア時代を含めれば4回)優勝しており、ミラノ〜サンレモ(プリマヴェーラ)を7回、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ(ラ・ドワイエンヌ)を5回制するなど、クラシックでもとりわけ歴史がある記念碑的なレース「モニュメント」でも数多くの記録を残し、1シーズン54勝というシーズン最多勝記録も保持しています。

さらに、同一年度にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの両方を制する「ダブルツール」を3回達成し、1974年には世界選手権も制して「トリプルクラウン」を史上初めて達成した選手としても有名です。

そんなエディー・メルクスが全盛期だった時に所属していたチームが、「モルティニ」でした。(余談ですが、2015年にはエディー・メルクス生誕70周年を記念し、ベルギーのサイクルアパレルメーカー「フェルマルク」がモルティニのチームジャージを限定発売して話題になりました)。そうです。モルティニはエルネスト・コルナゴがメカニックを務めていたチームです。

一方、エルネスト・コルナゴは、モルティニのメカニックを務めながらも当時最強と謳われていたエディ・メルクスには自作のフレームを提供。1972年、エディ・メルクスが「自転車選手にとって最高の名誉」といわれるアワーレコードに挑戦すべくメキシコシティに向かう際は同行し、当時としては驚愕の5.7kgのコルナゴ製トラックレーサーでエディが前人未到の49.432km達成を見守ります。

そして、このレコード樹立により、コルナゴは自転車史の中で名実ともにその頂点に達します。

2-3.ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に拝謁

ヨハネ・パウロ2世は史上最初のスラヴ系教皇で、20世紀中最年少で着座した教皇です。キリスト教の過去の罪において歴史的謝罪を積極的に行い、ガリレオ・ガリレイの地動説裁判における名誉回復などを公式に発表した人物です。また、ヨハネ・パウロ2世は2回の暗殺未遂がありながらも歴代2位の長期間在位を果たし、2005年に没しますがその葬儀は参加人数において史上最大規模のものとなったことは記憶に新しいと思います。

そんなヨハネ・パウロ2世に、エルネスト・コルナゴは1978年、一家で拝謁。黄金に輝くロードバイクを献上し、コルナゴは世界一のロードバイクブランドと称されるようになりました。

3.多くのスターがコルナゴで優勝した80年代

3-1.ジュゼッペ・サロンニも愛したコルナゴ

1981年、世界選手権自転車競技大会ロードレースがチェコスロバキアのプラハで開催されましたが、その時の優勝者がフレディ・マルテンスです。今なお史上最高のロードスプリンターと称される一人です。

そして、そんなフレディと優勝争いを演じたのがミラノの神童と謳われたジュゼッペ・サロンニで、この時はフレディ・マルテンスがレースを制しましたが、二人が乗っていたロードバイクはいずれもコルナゴ製でした。

また、翌年の世界選手権ではジュゼッペ・サロンニが前年の雪辱を晴らし優勝するのですが、さらに彼は、翌1983年のミラノ~サンレモ(プリマベーラ)ではアルカンシェルを着用して優勝し、同年のジロ・デ・イタリアでは圧勝を飾ります。

もちろん、この時のロードバイクも全てコルナゴ製でしたが、ジロ・デ・イタリアでは今なお人気の高いジルコ加工(パイプを星形断面に成形する加工法)を施したクロモリフレーム「マスター」が採用されたロードバイクでの勝利でした。

3-2.ロサンゼルスオリンピックでの活躍

1984年のロサンゼルスオリンピック100kmチームタイムトライアルは、イタリアが金メダルを獲得しました。この時のメンバーは、マルコ・バルタリーニ、エロス・ポーリ、クラウディオ・ヴァンデッリでした。

そして、彼らが使用したロードバイクはコルナゴでした。

3-3.フェラーリとのコラボ

1985年にイタリアのモンテッロで開催された世界選手権で優勝を果たしたヨープ・ズートメルク、1986年にジロ・デ・ロンバルディアにて優勝を収めたジョバンバッティスタ・バロンチェッリはいずれもコルナゴ製の自転車に乗っており、クロモリバイク全盛の時代でコルナゴ知名度をさらに高めました。

しかし1986年、コルナゴはそんなクロモリの時代にフェラーリとの提携を発表し、カーボンフレームの共同開発を始めます。そして1989年、コルナゴ35周年記念モデルとしてフェラーリ社とのコラボレーションによる「C35」を発表するのですが、このモデルはのちに伝説の有機体とも呼ばれ、自転車界にハイテクカーボンバイク時代の夜明けを告げるものとなりました。

4.カーボンバイクで勝利を量産した90年代

4-1.進化するカーボンバイク

カーボンバイクの開発に積極的だったコルナゴは、1991年には双胴パイプでアルミラグ接着のカーボンフレーム「カルビトゥーボ」を、そして翌年にはそのカルビトゥーボをスペイン国王に献上します。

さらに1993年には、カルビトゥーボのシルエットを継承したTig溶接のチタンフレーム「ビチタン」を発表。特徴はカルビトゥーボと同じく2本のダウンチューブで、「伝説の双胴フレーム」として現在でも非常に高い人気を誇るモデルが登場します。

一方、レースでは、フランコ・バッレリーニがクラシックの女王と呼ばれる「パリ~ルーベ」で勝利を挙げると、それを皮切りに以降5年間で4度の成功を収めます。当然ながら全レースにて使用されたのはコルナゴのカーボン製バイクです。

また、1994年にはトニー・ロミンゲルがコルナゴ製ロードバイクで55.291kmのアワーレコードを樹立すると、1996年のジロ・デ・イタリアにてパヴェル・トンコフもコルナゴ車で総合優勝を飾り、コルナゴは世界で最も過酷なレースにおいて高い性能を実証し、その評判を一層高めました。

ちなみに、フランコ・バッレリーニもトニー・ロミンゲルもパヴェル・トンコフも偉大な選手ですが、特にトニー・ロミンゲルの業績は輝かしく、ブエルタ・ア・エスパーニャ3連覇だけでなく、1993年のブエルタ・ア・エスパーニャでは総合優勝の他、山岳賞、ポイント賞の主要3部門を独占した選手でした(グランツールにおける同一開催年の総合優勝、山岳賞、ポイント賞の主要3部門制覇はエディ・メルクス以来史上2人目)。

4-2.C40

1994年、コルナゴは40周年記念モデルとなるカーボンフレーム「C40」を発表します。そして、当時においては世界最強のマペイチームにフレーム供給を開始。彼らが「C40」に乗り、パリ~ルーベ(クラシックの女王)の通算5勝を筆頭に、世界選手権を3回制覇、さらにクラシックレースやプロツールのステージ優勝を含めると、マペリとC40で500勝ほどを記録し、文字通り「最強」の称号を欲しいままにしました。

ただ、C40はプロロード選手権で活躍した10年の間で幾度かマイナーチェンジを繰り返しています。大別すると、クロモリのプレシサフォークを装備した第1世代、フォークがスターカーボンへと変更された第2世代、2001年からプロ選手の要望に応えて「B-STAY」と呼ばれる扁平状のモノステーを採用した第3世代、そして、2003年にチェーンステーに菱形の空間を設けた「HP/ハイパワーシステム」を搭載させた第4世代です。

5.輝き続ける2000年代

5-1.止まらない勢い

オスカル・フレイレは1999年、2001年、2004年と3度にわたって世界選手権を制覇した稀代の小柄なスプリンターです。出身はスペイン・カンタブリア州のトレラベーガ。ワイルドな風貌とは裏腹に普段は気さくで、しかしレースとなると勝利への執念は強く、2004年のミラノ〜サンレモ(プリマヴェーラ)を制した時は、エリック・ツァベルがガッポーズをした瞬間に横からハンドルを投げ出してゴールに飛び込んで逆転しています。

そんなオスカル・フレイレが2001年に世界選手権を制覇した時は、実に1位のオスカル・フレイレから3位までがコルナゴのロードバイクでした。

2002年は「il Grillo(イタリア語でコオロギ)」の愛称で呼ばれるパオロ・ベッティーニが勝利を量産した年でしたが、リエージュ~バストーニュ~リエージュ(ドワイエンヌ)ではコルナゴ車にのってステファノ・ガルゼッリとワンツーを決めました。

また2011年には、フランスの英雄「トーマス・ボックレール」がツール・ド・フランスにおいて10日間マイヨ・ジョーヌを着用し、マイヨジョーヌカラーに塗られたコルナゴを使用して話題になりました。

5-2.シクロクロス界のレジェンド「スヴェン・ネイス」

スヴェン・ネイスはベルギー出身のシクロクロス選手です。2004年~2005年シーズンに、世界選手権、UCIシクロクロスワールドカップ、スーパープレスティージュ、及びGvAトロフェーで第1位に輝き、シクロクロス界では史上初のグランドスラムを達成したベルギーの英雄です。

そして、2013年にもスヴェン・ネイスはシクロクロスの世界チャンピオンを獲得するのですが、コルナゴバイクはロードレースにとどまらず、こうしたシクロクロス界でも愛用され、たとえばスヴェン・ネイスの最強伝説などを支えました

5-3.日本人へも

新城幸也は2010年のジロ・デ・イタリアでは、第5ステージでは3位入賞、ツール・ド・フランスでは第11ステージで6位入賞、さらに世界選手権では日本人初の9位という好成績を残しますが、このときに乗っていたロードバイクはコルナゴのC59でした。

また、女子の萩原麻由子選手がイタリアのステージレース「ジロ・ローザ」にてステージ優勝を飾ったときも、コルナゴ製ロードバイクに乗っており、コルナゴは今では日本人にもいくつか提供されています。

5-4.フェラーリとのコラボバイク

1986年からフェラーリと共同開発を続けた結果が2000年、いよいよ「CF1」となって発表されました。CFはコルナゴとフェラーリの頭文字で、以降2社のコラボレーションモデルには、ロードバイクやマウンテンバイク問わずCFの呼び名がつけられます。

他にもコルナゴは革新的なモデルを発表しており、2004年には50周年記念モデル「C50」を発表。カーボンラグ製法とエアブラシで巧みに描かれたアートを思わせるペイントが施されており、2007年にはイタリア人スプリンターであるアレッサンドロ・ペタッキのために「Extreme-Power」を開発します。

6.コルナゴの限定モデル

コルナゴには限定モデルがいくつかありますが、ここではその一部をご紹介します。

■CF3
2002年にフェラーリとコラボしたロードバイクです。F1フェラーリチームの顔をイラストペイントした世界750台限定(日本国内では50台限定)でした。価格は当時で100万円。

■50th ANNIVERSARY
創業50周年を記念し、2003年に発表された限定車です。

■ForEver
2006年に発表された、コルナゴ夫妻の結婚50周年を記念した限定モデルです。世界限定50台、うち20台は日本で発売されました。価格は当時で170万円。

■COLNAGO for Ferrari 60th Anniversary
2008年 、フェラーリ創立60周年を記念して世界限定60台で発売されたモデルです。
ドイツ製カーボンホイール「Lightweight」仕様と、Fulcrum社製ホイール「Racing Zero」の2種類が存在し、各バージョンとも世界で限定60台のみの生産でした。価格は「Lightweight」が180万円、「Racing Zero」が135万円。

■Extreme-Power Scuderia

「アレ・ジェット (Ale-Jet)」の異名を持つアレサンドロ・ペタッキらによって多数の勝利を積み上げた「Extreme-Power」。それに世界最高峰「Lightweight」社フルカーボンホイールを装備したモデルです。発表は2008年。世界限定20台。価格は160万円。

■CF7
2009年、Carbon wheel versionが世界限定99台、Aluminum wheel versionが世界限定199台で発売したモデルです。価格は165万円。

■Master 55th Anniversary
創業55周年を記念して生まれた、伝統工芸品ともいえるロードバイクで、名作Master X-lightに特殊なゴールドプレート&ゴールメッキ処理が施されています。世界限定生産99台、うち日本国内には25台限定。価格は120万円。

■C59 Scuderia
新城幸也選手がジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスを完走し、世界選手権で9位に入ったC59の2011年モデル特別限定完成車です。世界で59台限定生産の電動仕様で、価格は180万円。

■C59 ITALY Anniversary
2012年に発表された、イタリア建国150周年記念モデルです。世界限定150台、完成車価格は150万円、フレーム単体価格は60万円。

■C60
C60はコルナゴ誕生60周年を記念して発売されたフラッグシップモデルです。コルナゴ製品も他の自転車メーカーと同じく大部分が台湾で生産されていますが、このC60はイタリア国内で職人たちにより製造されています。数量は日本国内では30台。価格は64.5万円。

■Ottanata 5(オッタンタチンクエ)
創業者であるエルネスト・コルナゴの生誕85周年を記念したモデルです。「Ottanata 5(オッタンタチンクエ)」とは、イタリア語で85を意味し、販売台数は世界で85台です。価格は195万円。

7.まとめ

コルナゴの創業者「エルネスト・コルナゴ」は15歳でロードレース選手としの活動を開始し、多くの勝利を収めます。体格は小さいながらも才能溢れる選手として、多くの人に期待されていました。しかし、20歳直前のレースで落車事故により左足を骨折。選手生命にピリオドを打ちます。

が、それでも自転車への情熱は冷めることはなく、レーサーからメカニックへ転身。1954年には弟のパオロと共にコルナゴを創設します。

以降、コルナゴはメカニックとしての腕を発揮しつつも、様々な新しいロードレーサーを開発。クロモリの時代でも、カーボンが主流になった今の時代でも、常に一級品の自転車を作り続けています。

フェラーリとの共同開発も話題になりましたが、何よりの実績はコルナゴの自転車は各時代のスーパースターが愛用し、いくつものビッグタイトル獲得に大きく貢献していることです。

「カンピオニッシモ(チャンピオンの中のチャンピオン)」と称され、「ダブルツール」を3回、史上初の「トリプルクラウン」を達成したエディー・メルクスを筆頭に、本当に数多くのスターがを愛用しています。

コルナゴ。
だからこそ、ロードバイクの中では頂点のブランドだという声が多数あるのでしょう。

これからもコルナゴは、私たちを驚かせる自転車をいくつも開発し、コルナゴを使用するスーパースターが、何度も私たちを感動させてくれることでしょう。間違いなく、今後も「コルナゴ」から目が離せません。

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