Bike Database

  • 名称
    TREK
  • 国名
    アメリカ
  • 設立
    1975年
  • 創業者
    ディック・バーク、ベビル・ホッグ
  • メーカーサイトURL

ロードバイクに限らず、マウンテンバイクやクロスバイクなど、スポーツバイクの総合自転車メーカー「Trek(トレック)」。その規模は紛れもなく世界最大級で、この日本でもTrekのロードバイクはとても人気があり、私たちチャリストックでも買取に非常に力を入れています。

そんなTrekはアメリカ生まれのアメリカブランドです。
そして、ロードバイク界の伝説「ランス・アームストロング」が、ツールで使用して幾度となく優勝を飾ったブランドです。

この記事では、ロードバイクでも常に一、二を争うと言われているほど人気の高いブランド「Trek」の名前の由来や歴史について紹介します。

───────────目次───────────

1.Trekの、始まりの始まり

2人いるTrekの創業者の一人「Richard・Dick・Burke(リチャード・ディック・バーク)」は、1934年6月4日、アメリカのシカゴで生まれました。そして12歳の時に、後にTrekの共同創設者となるBevil Hogg(ベビル・ホッグ)の話を父から聞きます。ベビル・ホッグはウィスコンシン州マディソンで自転車屋を経営する南アフリカ共和国の男でした。

それから間も無くして、ディック・バークの父とベビル・ホッグは「Stella Bicycle Shop」という自転車店を買い取り、次いでイリノイ州シャンペーンに2つ目のステラ自転車店をオープンします。二人の夢は、全国的な自転車店のチェーンを作ることでした。

しかし、結果的に二人はビジネスを軌道に乗せることはできず、1975年秋、お店を全て閉じてしまいます。原因は明らかでした。二人が納得するような良いバイクがなかったことです。そこで二人は、アメリカ製のハイエンドバイクを製造するべきだと考えます。当時からSchwinn(シュウィン)はローエンド・バイクやキッズ・バイクを販売していて、ハイエンドなヨーロッパのブランドもいくつか取り扱っていました。しかし、中価格帯より上にかけてはアメリカ製のバイクはなく、二人は勝機があるいことを確信していました。

2.Trekの始まり

2-1.「Trek」名前の由来

ディック・バークの父とベビル・ホッグが二つの自転車店を閉めた翌1976年冬、ウィスコンシンにあるPine Knollという名のサパークラブ内の薄暗いバーで二人の男が落ち合います。

Trek創業者の二人「ディック・バーク」と「ベビル・ホッグ」です。

画像引用:インサイド トレック - 受け継がれるもの

二人はアメリカ製のハイエンドバイクの会社を設立すること決め、その社名を考えていました。ベビル・ホッグは猛禽類の「Kestrel(ケストレル)」を推していました。ケストレルはハヤブサ類の猛禽です。日本では「チョウゲンボウ」と呼ばれ、国の天然記念物にも指定されている鳥です。

一方、ディック・バークは「Trek(トレック)」で譲りませんでした。旅や冒険のイメージを彷彿させると同時に、高い耐久性、自由、品質を約束する何かがその言葉には隠れているように思えたからでした。

結局、ディック・バークのアイデアの方が信念や説得力があるということで、二人の新会社名は「TREK」となり、1975年12月、二人はミルウォーキーの電化製品販売業者であるRoth Corporation(ロスコーポレーション)の完全子会社として、Trek Bicycle(トレックバイシクル)をウォータールーに設立しました。

2-2.創業者「ディック・バーク」

シカゴで生まれたディック・バークでしたが、大学入学時にミルウォーキーに引っ越します。そして、卒業後は家電流通業を含むいくつかの会社で働いたのち、1975年にTrekを創業します。

ディック・バークは最初にエレインサックスと結婚しますが、やがて離婚。次にカミーユと結婚し、5人の子供に恵まれます。そのうちの一人は「ジョン・バーク」。Trekの現社長です。4〜5歳で初めて自転車に乗り(本人曰く、自転車デビューは赤いシュウィン)、50歳過ぎても自宅のあるマディソンから会社のあるウォータールーまで、片道30km以上を毎日のように自転車に乗って通勤するバイク好きです。

創業者であるディック・バークは、2008年3月9日に73歳で亡くなりました。

2-3.創業者「ベビル・ホッグ」

ベビル・ホッグは1976年にTrekを共同で設立すると、1986年、世界初のオールカーボンフレームの設計製作を目的とした「Cycle Composites, Inc. (CCI) 」を創立します。創業者は「ベビル・ホッグ」と「トム・フレンチ」。そして、その自転車ブランド名が「Kestrel(ケストレル)」でした。

おそらく、ベビル・ホッグはどうしても「ケストレル」が忘れられなかったのでしょう。

3.Trekの歴史

3-1.創成期(1975年~1979年)

Trek Bicycleが設立された翌年の1976年、従業員の5人は当時日本製とイタリア製のフレームが独占していたミドル~ハイエンドモデルの市場をターゲットとしたスチール製ツーリングバイクフレームを、今も現存する赤い倉庫で製造していました。初年度の製造は904本で、その販売価格は275ドル。そして、同年にはトレックバイシクルは法人化され、1977年にはミネソタ州リッチフィールドのペンサイクルを世界初のトレック販売店に指名します。

その時の売り上げは(Trek創業からわずか3年でしたが)、すでに200万ドルに達していました。

3-2.ビジネスへの本格参入(1980~1984年)

1970年代後半になると、需要に対し製造がまるで追いつかなくなり、売り上げが頭打ちになります。その後3年ほどはTrekは初期の倉庫を拡張することで対応していましたが、1980年にウォータールー郊外の2400㎡の土地を開墾。念願の本社を建設します。

そして、生産ラインを拡大したTrekは完成車の生産にも着手。1982年にロードレーシングバイクシリーズの生産を開始し、軽量チューブであるレイノルズとコロンバスを使用した「750」や「950」といったモデルを市場に送り出しました。

Trekはマウンテンバイクに関しても定評がありました。1970年代後半から1980年代前半にかけて、アメリカではマウンテンバイク革命が起きます。その時Trekはその最先端を走っていましたが、1983年、最上級フレームのデザイナーであったティム・アイザックが堅固なスチームフレームMTB850を発表。するとすぐ、そのTrek初のマウンテンバイクはカリフォルニアで行われるWhiskeytown Classicという大会で使用されます。

また、1984年にはアフターマーケットパーツアクセサリーの生産を開始し、トレックコンポーネントグループ(TCG)部署を設立。最初は20ページ程度だったTCGカタログも、この20余年間の間に700ページを越すほどまでに成長し、今ではトレックグループの中でも重要な役割を担うマーケティング・ツールとなっています。

3-3.テクノロジー・フロンティア(1985年~1991年)

1985年、Trekは航空宇宙産業と提携。航空宇宙技術を自転車へ活用した世界初のバイクメーカーとなり、ALANやVITUSなどの自転車メーカーの力を活用しながらアルミニウムバイクを開発します。

ALANは1970年代、世界で初めてアルミ合金を採用したバイクフレームを製作し、さらにはカーボンチューブをアルミのラグで接着する技術を開発。数々の世界チャンピオンを輩出した背景を持つ、歴史あるイタリアの名ブランドです。

VITUSは独特のアルミラグ接着のフレームが特徴の、もともとはフランスの自転車メーカーです。当時は「ビチュー」と呼ばれていましたが、一度は歴史から姿を消すものの、近年イギリスのCRC(チェーン・リアクション・サイクルズ)の元で復活。読み方も英語読みの「ヴィータス」となった由緒あるブランドです。

「Trek2000」は、こうした航空宇宙産業や他国の自転車メーカと協力して開発された、Trek初のアルミニウムバイクフレームでした。そして、この「Trek2000」は手作業の生産ラインの見直しにより商業的に大成功を収め、その1年後に発表した「2500」でも成功を収めます。

「2500」は3チューブのカーボンコンポジットフレームで、Trekにおけるカーボンフレーム製造の最初のモデルでした。そして、Trekは同年には注文数増加への対応のため、ウォータールーの本社工場を7000㎡増設します。また、その5年後の1989年にはカーボン成型フレーム「5000」を発表。このモデルはカーボンモノコックフレームと接着アルミフォークで、Trek初となるカーボン成型フレームでしたが、その重量はわずか1.5kgでした。

このように革新的な技術をバイク造りに活用してきたTrekでしたが、一方で1988年、サイクリングアパレル市場に参入し、「トレックウェア」を設立。その一年後には海外マーケットへも進出し、イギリスとドイツには支店を設立します。

また、同年にはエントリー層や子ども用バイクを生産する「ジャズバイク」を創設。1990年にはキッズバイクも発表します(それに伴い、ジャズバイクは1993年に生産は中止されますが、それまではデザインはTrek本社で行い、台湾で製造されていました)。そして、その同じ年にはマウンテンバイクの快適性能とロードバイクのスピード性能を併せ持ったハイブリッドバイク「マルチトラック」を発表。ハイエンドモデルばかりではなく、幅広い層へのマーケティングも試み始めます。

3-4.OCLVの採用(1992年)

3-4-1.OCLVとは

OCLVは「Optimum Compaction, Low Void」の略です。日本語では「超高密度圧縮、超低空隙率」と訳すことができます。そして、その製法はアメリカ国外には輸出禁止となっている軍事レベルのカーボン素材を基にすることから始まるのですが、それからの過程に関しては、OCLVの「OC」と「LV」の二つに分けて進められます。

Optimum Compaction(超高密度圧縮)は、熱と圧力とを交えつつ、複数のカーボンシートをカーボンラグに圧着させていくことです。この熱と圧力との組み合わせがOCLVの基本です。

Low Void(低空隙)とは、空隙(コンポーネントやフレームを構成するカーボンファイバーの層間に存在する空間)を最小限に抑えることです。空隙が増えると、コンポジット素材の強度と耐久性が下がるため、低空隙が高品質のカーボン製作では最重要事項です。ちなみに、OCLVカーボンは空隙の含有率に関して、航空宇宙産業の水準を満たしています。

3-4-2.OCLV採用モデル

Trekのテクノロジー部署のマネージャー「ボブ・リード」は、1990年代初頭にソルトレイクシティで開催された航空宇宙産業展に参加。そこで成型金型会社「ラディアスエンジニアリング」の成型技術に出会い、その技術を強靭で軽いカーボンフレームの製造に活用しようと考えます。そして1992年、工場内に大がかりなカーボンフレームの製造ラインを導入し、TrekはOCLVカーボンを使用した初の完全自社製造カーボンフレーム「5500」と「5200」を発表します。「5500」はフレーム重量1.11kで、当時の世界最軽量のロードバイクフレームでした。

この、航空宇宙産業で使用されるカーボン技術を凌ぐトレック独自の技術は市場でとても評価され、Trekは本社工場を再度増設。OCLVカーボンを使用したフレームの製造のために13,000㎡の新たな工場を新設します。そして、1992年には同じくトレック初となるT3Cサスペンションシステムを採用したフルサスペンションバイク「9000シリーズ」を発表すると、翌1993年には1.29kgという世界最軽量のカーボンフレームマウンテンバイク「9800」と「9900」を発表しました。

3-5.関連企業の吸収合併(1992年~1996年)

Trekは1993年(その年は自社製品初となるカーボンフレームマウンテンバイク「9800」と「9900」を発表した年)に、「ゲーリー・フィッシャーマウンテンバイク」を買収します。ゲーリー・フィッシャーはマウンテンバイクの生みの親として知られ、彼の名を冠したゲーリー・フィッシャーマウンテンバイク社はオフロードサイクリング界で最も人気のあったバイクメーカーでした。

1990年代前半はホームフィットネス市場が伸びており、Trekは1994年、フィットネスマシン「エクササイクル」を発表します。(しかし、このエクササイクルは1996年に生産が中止され、自社のフィットネス部門を「ビジョンフィットネス」として独立させています)

また、1995年には、OCLVカーボンを使用した新たなフルサスペンション「Yバイク」を発売。従来の自転車デザインとは全く異なるその革命的なフレームデザインは自転車業界に大きな衝撃をもたらし、非常に好調な売れ行きを記録。と同時に、著名な機械工学雑誌にてデザイン賞とエンジニア賞のW受賞を果たし、Yバイクは後に最高評価を獲得するマウンテンバイクの一つと認められるに至ります。

そしてその同年、Trekは幅広い顧客の要望に応えつつ市場のシェア拡大を目標に、ワシントン州チェホールズの「クラインバイク」と、カリフォルニア州サンタクルスの「ボントレガーサイクル」を買収します。クラインバイクは付加価値の高いアルミバイクを製造し、ボントレガーサイクルはい自転車用コンポーネントと手製のスチールフレームを製造していた企業です。

ちなみに、そんな1995年には、グレッグ・レモン(アメリカ人初のツール・ド・フランスの覇者であり、通算3度ツール・ド・フランスを制したロードレーサー)がデザイン・製造・販売していたレモンサイクルと長期ライセンス契約を結んだ年であり、ウィスコンシン州ホワイトウォーターに最新鋭の組立工場を建設し、ウォータールーの工場をフレームの製造だけに集中させた年でもありました。

3-6.アームストロングとのあゆみ(1997年~2005年)

1997年より、Trekは「US Postal Service Pro Cycling Team」とプロロードレース・サイクリスト「Lance Edward Armstrong (ランス・エドワード・アームストロング)」のスポンサーになります。

アームストロングは2012年にドーピング違反により全ての業績を取り消されますが、1999年には「Trek 5500」に乗ってツール・ド・フランスで初優勝を飾り、アメリカ製ロードバイクで初めてツール・ド・フランスを制したアメリカ人となります。そして、それ以降はTrekのロードバイクに乗って7年連続でツール・ド・フランスを制覇。自転車界では伝説の男となり、Trekもまた最強の称号をほしいままに手にします。

1990年代後半から2000年代前半は、Trekのロードバイクにはアームストロングに由来するものが多くあります。

1998年、Trekはテクノロジー開発に従事していたエンジニアを集め、ACG(Advance Concept Group:アドバンスド・コンセプト・グループ)を設立。そのACGにより開発されたTrek最先端のテクノロジーを採用した製品は、アームストロングにより使用され世間に広まりました。また、2005年に発表されたタイムトライアルバイクのTTXも同様に、アームストロングにより広まった製品です。

ちなみに、「MADONE(マドン)」は2003年に発表されたTrekを代表する一台ですが、その名称はアームストロングがトレーニングや製品テストに使用したフランスの町・メントンを起点とする12㎞の峠道「Col de la Madone」から命名されています。

3-7.様々な、新たなる展開(1997年~2005年)

1998年、Trekはアイルランドのカーローにヨーロッパ初となる製造拠点をオープン。2004年にヨーロッパの製造拠点をドイツのハーマンスドルフに移すまで、そのカーローの工場ではフレームやホイールの組立が行わていました。

2000年には、女性サイクリストからの要望に応えるため、Women’s Specific Design (WSD)バイクとアクセサリーを発表。WSDモデルは女性専用に設計されていて、例えばWSD サドルは女性の体形や軟組織部に特化した形状が採用され、ロードとマウンテンバイクのWSD フレームには、より小さいサイズや、女性の体形を考慮したジオメトリーも用意されています。また、アパレルのサイズやルックスも女性に適したものが開発・販売されています。

2001年秋、Trekは自分好みのペイントスキームやコンポーネントを選ぶことができるカスタムオーダープログラム「Projectone(プロジェクトワン)」のサービスを開始。このサービスを利用すれば、自分だけのこだわりの一台がTREK U.S.A.本社ファクトリーで受注生産されます。

また、2002年12月には、北米やヨーロッパにおいて、ラグジュアリーでハイパフォーマンスな自転車の旅を提供するためトレックトラベルを設立。そして2007年1月には、トレックトラベルを独立させます(Trekとは別会社となりましたが、それ以降も両社の良好な関係は継続しています)。

2003年、Trekはスイスの自転車会社「Villiger」と、ドイツで最古の自転車会社「Diamant」を買収します。この買収により、Trekは欧州での展開において重要となるトレッキングバイク市場への足掛かりを獲得。と同時に、ドイツのハーマンズドーフにあったVilligerとDiamantの工場の所有権を得ました。

それ以降もTrekの世界的拡張は続き、2005年には中国の北京に販売店舗を2つオープンし、中国で20の代理店と販売契約を結びます。また、同年にはウォータールーにある本社で3回目となる増設を実施。新たに増設された4,000㎡の敷地には、エンジニアリング・研究開発・マーケティング部署が入った他、商品展示スペース(アトリウム)が設置されました。そのアトリウムには、ゲーリー・フィッシャーによって初めて制作されたマウンテンバイクや、ランス・アームストロングがツール・ド・フランスを7回制覇した1995年から2005年のそれぞれのロードバイクなどが展示されています。

3-8.さらなる進化(2006年~現在)

2006年には、トレック本社に1,200坪にも及ぶ新たな工場を増設します。そして、今なお拡大し続けているカーボン需要に対応すべく、OCLVカーボン専用の生産部門を増員。それにあわせて開発や研究部門も拡大しました。

また、2014年にはElectra Bicycle Company(エレクトラ・バイシクル・カンパニー)を買収します。
エレクトラは1993年、カリフォルニア州ビスタで設立された、クルーザーバイクを主に取り扱っているブランドです。ホットロッドの影響を受け、独特の形状を誇るクルーザーバイクは全米の海沿いの街角や裏通りで中心的な存在となります。アメ車好きなら知らない人間はいない、と言っても過言ではないほど有名なネズミ「Rat Fink」とコラボしたことでも有名です。

一方で、Trekは2006年以降、以下のように社会貢献にも一層注力します。

3-8-1.League of American Bicyclistsへの支援

League of American Bicyclists(LAB)は、教育などを通して、楽しみやフィットネス、そして交通のためのサイクリングを促進する会員組織です。 アメリカで最大のサイクリストの会員組織の一つで、非営利団体です。

発足は1880年5月30日。初期のメンバーには、ギルド時代の最も裕福な3人の男性(ニューポートの社交界のジョン・ジェイコブ・アスター、ダイアモンド・ジム・ブレイディジョン・D・ロックフェラー)も含まれており、会員数は発足20年も経たない1898年には103,000人にも達していました。

LABはアメリカ国内の色々な場所で、大人と子供のためのサイクリング教育を提供しています。また、隔年開催の「自転車教育指導者会議」の後援に加えて、全国レベルで「学校への安全な経路」プログラムに積極的に参加しています。

一方で、自転車にやさしいコミュニティの提供にも尽力。安全な宿泊施設と自転車用の施設を提供し、住民が交通機関やレクリエーションのために自転車に乗ることを奨励することで、全50州の450のコミュニティを正式に認定しています。

そして、TrekはこのLeague of American Bicyclistsのバイシクルフレンドリーコミュニティーに、100万ドルの援助を実施しています。

3-8-2.International Mountain Biking Associationへの支援

International Mountain Biking Association(IMBA)は、日本では国際マウンテンバイク教会と呼ばれている非営利団体です。マウンテンバイクのインフラをサポートし、展開する世界最大の活動団体です。そして、Trekはこの団体に、世界各地でフルサスペンションバイク1台が販売される度に10ドルを寄付。また、1998年以来、IMBAのTrek Trail Care基金には数百万ドルを寄付してきており、全世界で150以上もの新たなトレイル計画と数百マイルにも及ぶトレイルの製作に関わってきました。

3-8-3.People For Bikes

People For Bikesは自転車インフラのための支援活動で、様々なプログラムを通じて、自転車をより安全に、よりアクセスしやすく、より楽しくすることに注力しています。

その一例が、「Green Laneプロジェクト」です。
Green Laneプロジェクトは、より良いバイクレーンを国内に設置し、走行に快適な道路の実現を目指すものです。

TrekはこのPeopleforBikesの創立メンバーであり、今後もこの組織に必要な活動および財源面のサポートを行っていくと断言しています。

3-8-4.World Bicycle Relief

World Bicycle Reliefは、アフリカ農村部で展開されている慈善事業です。起業家や医療従事者、または学生が、労働や勉学をすれば所有権が与えられるという持続可能なプログラムで、条件を満たせば、現地で組み立てられた特別なデザインのバイクが提供されます。

Trekはなんども資金調達に奮闘し、World Bicycle Reliefをその発足時からサポートしています。

3-8-5.自転車の世界に4%を

Trekは自社の成長を支えてくれた自転車の世界に恩返しをしようと、Trek全利益の4%を還元しています。

サイクリストの走る場所を、もっと確保したい。
Trekは自社製品販売促進以外にも情熱を持ち、自転車業界のますますの発展にも注力しています。

4.まとめ

Trek(トレック)はアメリカの自転車ブランドです。社名には、旅や冒険のイメージに加えて、高い耐久性や自由、品質を約束する何かを彷彿させる期待感が込められています。

創立は1975年。アメリカのウォータールーで、ディック・バークとべビル・ホッジが創業しました。

設立当初の従業員は5人でしたが、3年後には売り上げは200万ドルに達していて、1982年にロードレース用自転車の生産を開始すると、1984年には今でも重要な役割を担っているマーケティング・ツール「TCGカタログ」の作成にも着手します。

そして1985年、Trekは航空宇宙産業と提携し、ALANやVITUSなど他の自転車メーカーの力を借りながらアルミニウムバイクを開発。航空宇宙技術を自転車へ活用した世界初のバイクメーカーとなります。

さらに1992年には、Trek独自のOCLVを採用し、ロードバイクの世界で非常に高い評価を獲得します。

一方、Trekは90年代初頭以降、関連企業の吸収合併を進めます。
その結果、トレックの傘下には、オフロードサイクリング界で最も人気のあったバイクメーカーGary Fisher(ゲイリーフィッシャー)、パーツメーカーのbontrager(ボントレガー)、クルーザーバイクブランドのElectra(エレクトラ)などがあります。

Trekはロードバイクの伝説「ランス・エドワード・アームストロング」とも深く関わっていました。
アームストロングは、2012年にドーピング違反が明らかとなり全ての業績を取り消されますが、1999年には「Trek 5500」に乗ってツール・ド・フランスで初優勝を飾り、アメリカ製ロードバイクで初めてツール・ド・フランスを制したアメリカ人でした。そして、それ以降はTrekのロードバイクに乗って7年連続でツール・ド・フランスを制覇した英雄です。彼は自転車界では伝説の男となり、Trekもまた、その頃より最強の称号をほしいままにしました。Trekのロードバイクにはアームストロングに由来するものも少なくなく、例えばTrekを代表する「MADONE(マドン)」は、アームストロングがトレーニングや製品テストに使用したフランスの町・メントンを起点とする12㎞の峠道「Col de la Madone」が由来となっています。

Trekのバイクの性能は誰もが認めるところですが、自転車業界の発展にも非常に貢献しています。
League of American Bicyclistsのバイシクルフレンドリーコミュニティーに100万ドルの援助を行ったり、IMBA(国際マウンテンバイク協会)のTrail Solutions Servicesに60万ドル支援したり、自転車の世界へ恩返しをしたいと、Trekの全利益の4%を自転車の世界へ還元しています。また、

安全で、それでも速く、そして快適なサイクリングを提供したい。
企業の姿勢からもそんな情熱がひしひしと感じられるTrek。これからも製品やレースはもちろん、Trekの取り組み全てから目が離せません。